2009年から2年間、大学院で環境関連学を専攻するため、イギリスにやって来た私達の話 This blog is about us(U&I) coming to UK in 2009 for Environmental Study at master level for 2 years
by uk-env
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どれ位、真剣に温暖化対策って進める必要があるの?
Uです:

現在コチラで温暖化対策のアンケートに答えていただけるよう、お願いしているところですが、これは今年の修士論文に必要なものです。

その論文ですが、現在のところ、究極のテーマを「日本やEUなどの先進国はどれほど気候変動対策に熱心に取り組むべきなのか、経済効率性の観点から考える。」として、
国際環境税の成立可能性、税率の設定と使途を例題に、人々は汚染者としての責任を果たす意味で、遠方の被害者への賠償にどれほど理解を示すか。
その国際的な認識・合意形成に当たって、気候変動の経済学がどれほど寄与するのか。

を調べてみようと思っています。以下、論文の導入部分のアイデアです(長文)。

まずは、問題意識です。

日本の場合、現在の国内対策の推進理由は、2012年までの先進国の義務を定めた京都議定書が求める1990年比6%削減の遵守です。これは現在のところ、図らずもリーマンショックや今回の大地震の影響などで目標は達成される見込みと言われています。

一方で、気候変動は50年以上の長期の問題と言われています。そこで2012年以降も、同じ論法で国内対策を進めようとすると、2012年以降に関する国際合意(いわゆるポスト京都)が重要になります。しかし、どれほどの削減対策を講じていくべきか、そして被害が生じる国に対する「支援」は、誰がどの程度の責任(費用負担)で行うかについては結論が得られていません。

この点を考えるに当たり、
国際的に同一である炭素の社会的費用を使い、国際環境税という一つのグローバルな政策に対して、各国の科学者、政策担当者、NGO、そして一般市民がどう理解・評価を示すかその声を集め、比較することで今後の国際的な気候変動政策のあり方を考えてみたい、

これが私の論文の狙いです。

次に背景です。

気候変動問題は「典型的な外部性の問題」(スターン2007年)と言われています。とすると、その対策は外部化している負のコストを内部化し、それと対策コスト(CO2の削減)を比較し、安い方を選択することが社会全体では、最も経済効率的となります。すなわち、「追加的な1トン当たりCO2の削減コスト」 vs 「追加的な1トン当たりCO2排出に伴う被害(外部化費用)」を考え、どちらが経済的により望ましいかを考えます。この2つのコストの均衡点が最も経済効率的とされ、この価格(1トン当たりCO2)のことを炭素の社会的費用と言います。

ここで言う外部性(気候変動による被害)ですが、具体的には洪水・干ばつ・津波・高潮・台風・海面上昇に伴う国土の消失・気温、降水量の変更に伴う農業への影響、生態系への影響、感染症の蔓延、難民・地域紛争などで、これは原始的な生活で自然により依存していて、かつ、経済的な問題から被害防止策を十分に行なえい発展途上国、特にサブサハラアフリカ・島嶼国などで長期的かつ深刻に発生すると言われています(IPCC2007年)。

もし、この被害額を“経済的”に求めることができれば、上記の経済効率性のための天秤にかけることが出来ます。しかし、実際には、その長期性・遠隔性から原因者と時間的・地理的に隔てられる傾向にあります。また、被害の幅も現在の市場経済の範囲内から、それを超えた生態系の価値、健康・命の値段、紛争・戦争・難民など社会的混乱に伴う被害額など多岐に渡るため、どこまでを確実に捕らえられるか、途上国を含めた世界中で可能なのか、など空間的な問題があります。

さらに、これらの被害額はその前提となる気候変動の度合い(代表的には温度上昇の幅)によって大きく異なりますが、それが現在の排出レベルだとどれほど進行するのかについても(1度未満から10度以内までと)かなり幅があります。これは言い換えれば、ハルマゲドン的な被害をもたらすリスクが少なからずあるが、このリスクをどう被害という意味で考慮するべきか、の問題でもあります。

加えて、時間的な面からは、気候変動の被害は長期に亘ることが予想されるため、被害額の算定には経済学的には、割引率という概念を持ち出す必要が出てくるが、これが論争の的となっています。市場の利子率、社会的割引率、低減割引率、超長期な問題、将来世代との均衡など重視するポイントは各経済学者によっても区々です。

こういった制約が存在する中、これまでの研究では様々な被害額が算定されており、CO2削減に伴う費用も同様に見積もられています。また、被害額は適応対策を行うことで減らすことが可能であることも分かってきました。これらを踏まえ、IPCCやスターンレビューなどでは、実際に炭素価格(炭素の社会的費用)を算定しています。

もし、炭素税や排出量取引などで、この炭素価格を排出行動に課されれば、排出を多少なりとも差し控えられます。しかし炭素価格を課しても、気候変動の被害は生じることに注意が必要となります。何故なら、たとえ外部費用が内部化されても、CO2は排出され、地球温暖化は悪化するからです。

このため被害者に対して当該炭素価格分の費用を配分されることが必要となってくるはずです。すなわち、被害は生じてしまうものの、それを金銭で穴埋めするという発想です。この考えに則り、国連(2010年)は各国政府、特に先進国に対して環境税を国際協調の下導入し、その税収を被害が予想される途上国の適応対策や削減行動のサポートのために拠出すべき、と訴えています。

ところで、現時点で、このような気候変動の被害額の補償・求償を行うスキームは国際的にも国内的にも存在しません。じゃあ無理して原因者が被害者に対して補償しなくてもいいじゃないか、という主張も考えられます。この点、国内問題として、訴訟大国アメリカでは種々の気候変動訴訟が提起されており、排出行動の停止や被害額の弁済などが求められています。これらの判決の行方が気になるところですが、追い風は二酸化炭素も汚染物質の一つとして連邦裁判所に認定されたことでしょう。逆風は、気候変動対策を推進する民主党が選挙に負けたことで、モメンタムが低下していることですね。

一方、国際的にはどうでしょうか。どこかの国が起こした環境汚染が原因で他の国が被害を被った場合、この被害額について弁償を求める仕組み、前例は存在するのでしょうか。もしなかった場合、法学的観点から、今後そのような仕組みが導入される可能性はあるのでしょうか。あるとしたらどういった紛争処理機関が調停をなすべきなのか、検証が必要でしょう。

また、現在から今後にかけて世界の政治力学(パワーポリティックス)も、大きく変化しそうです。G8からG20への拡大、アメリカ・機軸通貨ドルの衰退、BRICSの台頭、インドネシアが日本を経済規模で抜くという話もあります。アフリカも相対的には今より豊かになっていくはずです。国連の全会一致方式を前提とした場合、途上国に不利な気候変動問題の国家間調整はどのようにして成されていくでしょうか。排出国がこれまでの排出量に応じて被害国への金銭支払いを義務づけられる可能性(リスク)はどれほどあるでしょうか。これを「気候負債(climate debt)」という名で求める環境NGOの隆盛も気になります。

もし当該リスクが高い場合、そのための資金をいつ時点でどうやって工面するのかもポイントになってきます。例えば、支払いを20年後に求められる場合、その時点で税金等で特別徴収した資金を持って支払うことも可能です。しかし、その原因は20年以上に亘る排出によるもので、排出割合に応じて負担を求めるという公平さは担保されません。一方、現在から排出負担に応じて資金を集めた場合の弊害としては、20年にも渡りどうやってその資金を管理するのか、投資して運用益を増やすのか、その間の他への投資可能性を削ぐことにはならないか、など機会費用と効率性が問題視されます。

以上が、今後の経済効率的な気候変動政策を決定するに当たって考慮しなければならない事項と言えます。総じて言えば、もし、①被害額が少ない一方で対策コストが多くかかる場合、②被害額は大きいが将来の話で割引率を適用した場合現在価値はとても小さくなる場合、または、③被害額は現在価値でもなお大きいが原因者と時間的空間的に離れていて、弁済を強制される仕組みもない(又は今後も遡及する形で導入されることはないと予想される)ことから、排出に当たって特に考慮しなくても問題ないと考えられる場合などは、気候変動政策は停滞しがちであろうと思います。これらが、今まで気候変動対策が政治上大きく進展を見せてこなかった理由と考えられます。

これを日本を例に考えてみましょう。自国の被害額は相対的に少なく、世界の排出に占める割合も数パーセント。一方で対策コストは世界でもNo1と言われるくらい高いです。もし国外の被害への求償を考える必要がないのであれば、適当にお茶を濁しておくか、国外の対策コストの安いところで貢献する方が経済的にはよっぽどマシ、ということになります。間違っても世界に率先して25%削減などを提唱するのは経済効率的には間違っているかもしれません。

ということは、経済効率性を度外視してでも対策を進めようとする場合、モチベーションは別のところから来るはずです。例えばモラルの問題として、自分達が環境汚染をして貧しい人達や生態系を苦しめているのは耐えられない、というものが考えられます。また、外交上のプレゼンスを示すという意味もあるかもしれません。気候変動分野の国際貢献は、自らの誓約、すなわち高い国内目標を掲げ、国際的な支援・技術協力などを表明する、ということで達成可能な面があるからです。(逆に、一人よがりに「嫌だ、やらない」というと非難されます。)

他のモチベーションとしては、経済活性化策として新たな投資案件を創出するというものも考えらます。特に豊かになった先進国では物が溢れ、開発の機運も少なくなってきています。新たな需要を創出するという観点から低炭素経済、グリーンエコノミーへの変革というのは有効かもしれません。世界中で安全で高収益な投資案件を求めるマネーはいくらでもあると言われています。

ここでのポイントは気候変動関連投資が本当に高収益なのか、という問でしょう。すなわち、経済活性化のためにはより高付加価値な資金循環を促進する必要があり、もし他により収益の高い案件があって、その機会を食べてしまっているとしたら、機会費用の損失としてマイナス(気候変動投資の回収利益-他の高収益事業からの回収利益)を計上することも考えられるからです。これは相対的な問題であって、現在と将来の両方を見据えることが大事になります。

加えて、国際競争力も問題になります。電力・鉄・セメント・石油などの炭素集約型重工業は、炭素排出が宿命とも言えここに誓約があると、他の国と比べて国際競争力が削がれるという主張があります。

国際環境税自体はこれらの問題をすべて孕んだ大変難しい課題であるが、そこには今後の気候変動対策にどう立ち向かうべきかを示す重要な示唆が含まれているはずです。それをほぐして読み解き、公明正大に気候変動対策の必要性を議論して決定する、その必要が求められている気がします。

なぜならば気候変動問題は、国際問題でありながら、その担い手は国民一人一人という、国内問題でもあるのですから。
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by uk-env | 2011-07-05 03:38 | 大学(York Uni)
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